■「『幅』を作った」久保の見事なゴール

 久保建英の決勝点は、71分に生まれました。

 第2戦以降の対戦相手を考えても、南アフリカ戦では勝点3が欲しい。森保一監督は60分に1枚目の交代カードとして、三好康児に代わって相馬勇紀を投入していました。久保が得点を決める直前には、旗手怜央上田綺世が準備をしていました。代わって退いたのは、左サイドバックの中山雄太と1トップの林大地です。得点を取るために左サイドバックに旗手を入れ、1トップを変えてより攻撃的に、という交代でした。

 後半も半分が過ぎていたので、そろそろ焦りが忍び寄ってもおかしくない。先制するために何かを変えようとしていたところで、久保が取ってくれた。いい時間帯の先制点でした。

 得点につながった長いサイドチェンジは、前半はあまり見られなかったものです。前半は2列目のサイドに立つ堂安律も三好もタイミングを見て中へ入っていき、トップ下の久保と林を含めた4人で流動的にやりながら攻撃の形を作っていました。

 ですが、得点シーンは久保が右サイドに張って幅を作ったところで、それを見た田中碧がサイドチェンジを狙うことができた。相手を見ながらうまく立ち位置を取って、相手を広げることのできたシーンでした。

 森保監督の選手交代では、町田浩樹を入れるタイミングが絶妙でした。失点をしたことで攻勢をかけてきた南アフリカに、旗手が入った左サイドを何回か突かれていたので、85分に町田を投入して旗手を2列目へ上げた。守備を安定させつつ、190センチの町田の高さも加えて、相手のセットプレーにも備えた。また、旗手のSBも2列目もできるポリバレントさも、それを可能にしていました。町田の投入という一手は、最終ラインの安定、2列目の強度を保つ意味でも、終盤の戦いぶりを盤石にしました。

(構成/戸塚啓)

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なかむら・けんご  1980年10月31日東京都生まれ。中央大学を卒業後03年に川崎フロンターレに入団。以来18年間川崎一筋でプレーし「川崎のバンディエラ」の尊称で親しまれ、20年シーズンをもって現役を引退した。17年のリーグ初優勝に始まり、18年、20年に3度のリーグ優勝、さらに19年のJリーグYBCルヴァンカップ、20年の天皇杯優勝とチームとともに、その歴史に名を刻んだ。また8度のベストイレブン、JリーグMVP(16年)にも輝いた。現在は、育成年代への指導や解説活動等を通じて、サッカー界の発展に精力を注いでいる。

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