■解放せよ、とバイスバイラーは言った
湯浅健二さんは1952年5月11日生まれ。おっと、湯浅さんと明治神宮一の鳥居前のおしゃれなカフェで話したのは5月12日。湯浅さんの69歳の誕生日の翌日だった。サッカーの話をするのに夢中で、誕生日のお祝いを言うのを忘れていた。湯浅さん、おめでとう。2カ月間は、私と同じ年ということになる。
湯浅さんは、大学卒業後に西ドイツに渡り、サッカー指導者養成機関としては当時の(現在も)世界最高峰のケルン体育大学に入学、1977年に西ドイツサッカー協会の「B級ライセンス」。1979年に「A級ライセンス」、そして1981年に「スペシャルライセンス」を取得、同大学の専門課程を修了。1982年に読売サッカークラブのコーチに就任。1983年に読売クラブが契約した日本リーグ初の「有名外国人監督」であるルディ・グーテンドルフ(西ドイツ)のアシスタント・コーチを務めた。その後一時ビジネスに転じていたが、Jリーグのスタートともにサッカーに復帰、たくさんの著書とともに、自身のホームページ上で独自の理論を展開している。
――今季は4チームが降格するというのに、昨年以上にチャレンジングなサッカーが繰り広げられているのはなぜなのでしょう。
湯浅 私も、試合を見ながらそれをずっと考えていました。J1だけでなく、J2でも同じような傾向なんです。通常、下位からなかなか抜けられないと、モチベーションは落ちてしまうものなのですが、あまりそれが見られない。好例が浮嶋敏監督が率いている湘南ベルマーレです。ことしはチームの3分の1ぐらいが入れ替わったにもかかわらず、すごく躍動的な攻守を見せています。このところの勝利で順位も上がってきましたね。なかなか勝利につながらず、20チーム中19位と低迷しているベガルタ仙台も、すごく良くなっています(このインタビューは午前中に行ったが、その5月12日の夜、仙台は等々力競技場で川崎フロンターレと2-2で引き分けた)。浮嶋監督も仙台の手倉森誠監督も、サッカーの本質的なメカニズムを理解しているのではないでしょうか。
――「サッカーの本質的メカニズム」とは?
湯浅 ドイツでコーチの勉強をしていた1970年代にヘネス・バイスバイラーさんと知り合い、さまざまなことを教わりました。そのバイスバイラーにこう言われたのです。「サッカーというのは心理ゲームだ。コーチの仕事は、選手たちに『サッカーは楽しい』ということを再認識させるだけのことだ」
――子どものときは、みんな楽しいからプレーしているのですから「再認識」ですね。
湯浅 私はよく「規制と解放のバランス」ということを言います。規制とは決まりごと、すなわち戦術です。解放というのは、そこからいかに選手たちを解き放つかということです。このふたつのバランスを取るのが、サッカーのコーチにとって最も大事な点だと思っています。よく「トライアングルをつくれ!」とばかり叫んでいるコーチがいますが、選手たちにトライアングルをつくらせるためにサッカーをするなんて、まさに狂気の沙汰です。