■勝利を呼び込んだ釜本のシャウト

 第2試合も延長になったので、もう午後4時半を過ぎ、気がつくとすっかり日も落ち、暗くなっている。寒さも厳しくなった。本来なら午後4時前には終了するはずだった。当時の日本サッカー協会には、国立競技場に夜間照明代を支払う財政的余裕などなかった。

 さて、抽選である。試合終了後、主審の倉持守三郎、そして両チームのキャプテンである片山(三菱)と釜本(ヤンマー)が急激に暗さを増したグラウンドに出てくる。抽選形式は、センタースポット上でのコイントスだった。

 日本のサッカーには、忘れられない「抽選」がある。その抽選には、1956年メルボルン・オリンピックの出場権がかかっていた。1956年6月、会場は東京の後楽園競輪場。出場権をかけた韓国との連戦は1勝1敗。第2戦後に30分間の延長戦を行ったが得点は生まれず、抽選で決着がつくことになったのだ。

 このときには、コイントスではなく、急きょ2枚の紙の1枚に万年筆で勝利を示す文字を書き、もう1枚は白紙のままにし、ふたつ折りしてそれぞれ封筒に入れたものを用意した。ピッチの中央に両チームの主将だけでなく監督も進み出て、箱に入れた封筒から、先に韓国の金鎮雨主将が封筒を取り、残った封筒を日本の竹腰重丸監督が取った。そして竹腰監督が封筒から取り出した紙を開くと、そこには「勝 V」の文字があった。

 さて、1970年の天皇杯準決勝。この日は雨こそ降らなかったが、夏芝だけだった国立競技場のピッチは、芝が完全に枯れていた。センターサークル内は黒い土が露出し、2試合の熱戦で荒れた状態になっていた。倉持主審が投げ上げたコインはその黒い土の上に落ちた。

 その瞬間、身を乗り出してかがんだ釜本が、両手を挙げて何か叫んだ。片山はちらっと見ただけで、「仕方がない」というふうに肩をすくめ、小さく両手を広げた。私の目には、「何が何でも勝つ」という釜本の気迫が勝利を呼び込んだように見えた。

 ヤンマーは決勝に進み、東洋を2-1で下して2回目の優勝を飾った。元日の決勝戦も1-1から延長戦となり、その後半2分に右コーナー付近からカルロスが入れたFKをフリーで走り込んだ釜本がほとんどバックヘッドのような芸術的なヘディングシュートで左隅に流し込んで勝負をつけた。

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