■天皇杯が「正月の風物詩」となった理由
JSLチャンピオンが広島の東洋工業、学生チャンピオンが関西大学という対戦だったためか、観客は4000人と寂しかったが、テレビ中継の評判は良かった。この年の天皇杯は、10日後の1月11日から14日まで開催され、両チームとも出場することになっていたので、難しい面はあっただろうが、さすがにプレーのレベルは高く、生中継は成功した。
ところが、放送の評判が良かったことが「NHK杯」を短命に終わらせることになる。NHKが生中継をやってくれて、プロ野球もなく、全国のスポーツファンの注目を集めるに違いないと、日本サッカー協会は天皇杯の決勝戦を元日に移すことに決めたのである。NHKの運動部担当者は、「せっかくNHK杯を作ったのになんだ」と、上司に怒られたという。現在も天皇杯優勝チームに天皇杯、FAシルバーカップとともに「NHK杯」が授与されるのは、こうした経緯による。
Jリーグの立場からは、天皇杯の決勝が元日というのは都合が悪い。通常なら12月の最初の週末に最終節が行われるJリーグ。天皇杯で勝ち残っているチームはトレーニングを続けなければならず、十分なオフが取れなくなってしまうからだ。
しかし日本サッカー協会としては「国立競技場での元日決勝」には半世紀もの歴史があり、おいそれと変えることはできない。「それよりもJリーグのシーズンを『秋-春制』にしたら、シーズン後ではなく、シーズン半ばが天皇杯の決勝になるから、問題はないはず」とほのめかす。日本サッカー協会とJリーグは基本的に良い協力関係にあるが、利害が一致しない問題のひとつが天皇杯であることは間違いない。
前置きが長過ぎるのがこの連載の重大な欠陥であることは重々承知しているが、半世紀も前の日本のサッカーを取り巻く状況が今日からは想像がつかないほど違っていたので、ご容赦願いたい。ようやくここから、私が見た最初の天皇杯、第50回大会で経験した「天皇杯最大のミステリー」の話になる。