■真実を知るのは3人の男だけ
12月30日の準決勝終了後、実家に戻る横須賀線に乗ったころには、すでに完全な夜だった。車窓を流れていく街の灯を眺めながら蘇ったのは、釜本が両手を挙げたシーンだった。ふと、疑問が浮かんだ。
「釜本は本当に見たのだろうか。ともかくコインが落ちた瞬間にいち早くのぞき込み、ガッツポーズを取ろうと決めていたのではないか――」
あたりはすでに薄暗く、荒れた土のピッチに落ちたコインの裏表を見極めるには、ひざまずき、両手までついてのぞき込みでもしないと無理ではないかと思われた。そして何より、かがみもしなかった片山がしっかりとコインを見たのか、はなはだ疑問だった。この大会、準々決勝(1回戦)の法政大学戦(4-2)でハットトリック、準決勝と決勝で2点ずつを奪い、ヤンマーの全8得点のうち7点を決めた釜本は、文句なしのヒーローだった。だがそれ以上に、最大の「演技者」だったのではないか――。
「いつかふたりに聞いてやろう」と思いつつ、それがようやくかなったのは、半世紀近く後、つい数年前のことだった。釜本はよく覚えていた。
「ああ、あれですか。はい、はっきり見ましたよ」。現役時代のあのぎろっとした目ではなく、優しそうな笑顔を浮かべながらも、彼はそう断言した。片山も覚えていた。「ええ、見ましたよ」。そして、何をいまさらそんなことをというような表情を見せた。
だが2人の「直接証言」を聞いても、私の疑念は晴れない。本当に暗くなっていたのだ。そしてグラウンドは大荒れだったのだ。
半世紀前の第50回記念大会の準決勝。埼玉県の名門・浦和高校の監督としても有名だった主審の倉持は、2016年に亡くなった。ピッチ上にいたのは、片山、釜本両主将と、倉持主審の3人だけだった。このミステリー、私の心に魚の骨のようにひっかかったままの疑念を払拭する、最後の、そして決定的な「証人」から話を聞くことは、永遠にかなわぬこととなった。