■延長同点の場合、勝者は抽選で決定!

 第1試合が延長戦(10分ハーフ)まで行われたため、14時予定だった第2試合のキックオフはだいぶ遅れた。第2試合は三菱対ヤンマー。この時代の日本サッカーの最高の人気カードである。三菱はFW杉山隆一を筆頭にGK横山謙三、DF菊川凱夫、MF森孝慈、FW高田一美と、アジア大会に最多5人もの代表選手を送り出していた。対するヤンマーは、アジア大会代表は2人だけだったが、そのひとりがFW釜本邦茂だった(もうひとりは湯口栄蔵)。アジア大会の代表にははいっていなかったが、三菱には片山洋、落合弘、ヤンマーにはカルロス・エステベス、ネルソン吉村らの人気選手もいた。

 ヤンマーのユニホームは本来赤。しかしこの大会ではオレンジ色のシャツにパンツとストッキングが緑という「ラテン風」なものを使っていた。三菱はいつもの青いユニホームだった。前年の肝炎から完全復活した26歳の釜本の威力はこの試合でも遺憾なく発揮される。前半32分に抜け出して先制点を挙げると、続けざまに2点目を決め、前半を2-0で折り返したのだ。

 だが後半、三菱が電撃的な反撃に出る。ゴール前で危険極まりない動きを見せる細谷一郎の連続ゴールで後半9分までに同点に追いついてしまったのだ。以後は一進一退。釜本(ひとりで6本のシュートを打った)対三菱守備陣の戦いは熾烈を極め、厳しいマークをものともせずに放ったシュートにはGK横山が立ちふさがった。この試合も延長戦にはいったが、さすがに両チームとも疲労の色が濃く、得点が生まれないまま、試合は2-2で終了した。

 現在なら「さあ、PK戦」というところだが、この当時の天皇杯にはPK戦はなかった。「抽選」で次ラウンド進出チームが決められることになっていたのだ。PK戦が導入されるのは2年後の第52回大会のことである。ここまで半世紀にわたる天皇杯(第30回大会までは天皇杯は授与されておらず、単に「全日本選手権」だった)の歴史で18回目、そして最後の抽選となった。

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