■サンフレッチェ広島のサッカーが与えた衝撃

 私が初めてミシャのサッカーを実見したのは2006年の8月、カシマスタジアムだった。ミシャが指揮をとり始めて2カ月、前節までに7試合を戦って2勝5敗。直前には3連敗を喫し、彼も広島もいちばん苦しいときだった。しかしこの日の鹿島アントラーズ戦でミシャのサンフレッチェは驚くべきサッカーを見せ、2-0で快勝する。中盤で18歳の柏木陽介と20歳の青山敏弘が躍動し、後半4分に青山が35メートルのものすごいシュートを決めた。全員が生き生きと動くサッカーには新鮮な驚きがあった。

「これまで3連敗して非常に難しい状態だったが、内容は悪くなかったので、とにかく自分たちのサッカーを続けなければと話してきた。これまでの敗戦はすべて私のせい。選手たちには、目指すサッカーを思い切ってやってほしかった。きょうも良いプレーをしてくれたので、自信になる大きな勝利だったと思う」と、試合後の記者会見でミシャは話した。

 この試合を含めシーズンの残り15試合は9勝2分け4敗。最終順位は10位だった。ミシャは見事すぎるほど見事に広島を立て直し、立て直しただけでなく、ただ必死に守ってボールをけり返すだけの受け身のサッカーから、魅力的な主体的サッカーをするチームに仕立て直したのだ。

 だが翌2007年、広島は不振に陥り、最終節でJ2降格が決まる。ミシャは責任を取って辞任する覚悟を決める。だが選手たちに別れの言葉をかけようとした直前、クラブ代表の久保允誉社長がそれを止める。そして翌年、広島はJ2で圧倒的な強さを見せて優勝、以後常にJ1の上位で戦うようになる。久保社長の英断がなければ、Jリーグ史でも特筆されるミシャのサッカーが日本で実現されることはなかっただろう。

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