Jリーグ史で唯一の停電事件

 Jリーグがスタートするとき、いくつものクラブが東京をホームタウンとすることを目指し、スタジアムを探した。収容2万人の駒沢競技場は、当時としては理想のホームスタジアムだったが、当初のJリーグは全試合をナイターで行うことにしていたため、断念せざるをえなかった。駒沢に照明設備があれば、「東京ヴェルディ」だけでなく、「東京レッドダイヤモンズ」あるいは「ジェフユナイテッド東京」が誕生していたかもしれない。

 Jリーグではスタート当初から夜間照明をつけたときのピッチの明るさを「1500ルクス」と、高いハードルに設定した。その基準に合わせ、多くのスタジアムでは電球を付け替えるなどの改修をしなければならなかった。しかしそのおかげで緑の芝に両チームのカラフルなユニホームが躍動するのが映え、テレビ映りも非常に良くなった。Jリーグが成功した要因の一端が、年間を通じて美しい状態が保たれるようになった芝生とともに、スタジアムの夜間照明にあったのは間違いない。

 だが、光が美しければ美しいほど、それが失われたときのショックは大きい。停電である。

 これまでのJリーグ史では、停電によって試合が中止になった例はない。しかし中断はあった。2005年12月7日に行われた「J1・J2入れ替え戦」、ヴァンフォーレ甲府柏レイソル戦だ。甲府が2-1とリードして迎えた後半の追加タイムにはいった直後、攻め込む柏の攻撃を甲府がかろうじてタックルで逃れた瞬間に、小瀬競技場は突然真っ暗になった。35分後、ピッチに明るさが戻り、ようやく柏原丈二主審のドロップボールで試合再開。残り4分間をプレーした後、2-1のまま終了した。

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