■ナイター時代の黎明期

 1863年に誕生したサッカー。「母国」イングランドでは、わずか15年後に夜間照明を使った試合が行われたという記録がある。1878年、シェフィールド・ユナイテッドは照明をつけた実験的な試合を実施した。だが一般に電力を供給するシステムが生まれる前夜のこと。電力は蓄電池や自前の発電機でまかなわざるをえなかった。当然、不安定で、プレーはしばしば中断した。

 2年後にはノッティンガム・フォレストがパラフィンを燃料とした持ち運び式のガスバーナー灯14基を並べて地元クラブとの試合をした。1基あたり「ろうそく4000本分」という明るさで、ピッチ全面を照らし出し、5000人もつめかけた観客もプレーを追うことができたという。しかし強い風が吹くと炎が偏り、片方のエンドは真っ暗になってしまった。

 1930年代には、アーセナルを無敵クラブにした名監督でありアイデアマンだったハーバート・チャップマンがハイベリー・スタジアムのメインスタンドにライトを取り付けたが、フットボール・リーグはその使用を許さなかった。本格的に「ナイター時代」が到来するのは、第二次世界大戦後、1950年代になってからである。

「夜間照明不可欠」となったのは、1955年にスタートした欧州チャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)である。この大会は各国の国内リーグと並行して行われることになっていたので、当然ウイークデー、すなわち水曜日の開催となった。週末の国内リーグに支障をきたさないようにするための航空機による移動とともに、夜間照明が不可欠となったのだ。

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