■男子のサッカーが忘れてしまったもの

 日本で最初に「女性にもサッカーをやらせよう」と考えたのは、戦前から亡くなる1972年にかけて関西でサッカーの発展に取り組んだ田辺製薬会長の田辺五兵衛さん(本名田辺治太郎、1908~1972)だっただろう。だが田辺さんのアイデアは、今日の女子サッカーを予見してのものではなかった。

「女性は母親になる。母親がサッカー好きだったら、子どもにもサッカーをやらせるに違いない」

 世界中で愛されているのに、サッカーは日本ではマイナー競技のひとつに過ぎなかった。強くするには、まず競技人口を増やし、底辺を広げなければならない。田辺さんの考えは、女子サッカーを奨励することによって男子の競技人口を増やすことが目的だった。現在の感覚からすれば、時代遅れの差別的な考え方だが、1970年ごろの日本サッカーの指導陣の「女子サッカー」に対する認識は、ほとんど田辺さんの「思想」の受け売りだった。

 私は、80年代の終わりごろから「女子サッカーの競技としての可能性」を考えてきた。スピード感やパワフルなシュートなどだけにファンが惹きつけられるのであったら、女子はとうてい男子に太刀打ちできない。しかし女子サッカーの試合には、女子にだけしかない魅力がある。そのひとつが「フェアプレー」であり、「相手への思いやり」であることは、監督になってすぐにわかった。

 だが1994年のアジア大会(広島)で当時の日本女子代表を見て、新たな可能性を見つけた思いがした。「芸術性、優雅さ」である。高倉麻子、野田朱美、半田悦子、木岡二葉が組んだ日本の中盤は、相手の逆をとりつつワルツを踊るように美しく相手をかわし、リズミカルにパスをつないだ。それは、男子のサッカーが1970年のメキシコ・ワールドカップのブラジルを最後に忘れ去ってしまったものだった。女子サッカーが、そうしたサッカーが本来もっていた魅力を表現できるなら、男子の試合とは違ったエンターテインメントとしてファンを惹きつけていくのではないかと思ったのだ。

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