■元アルゼンチン代表監督メノッティの箴言

 1979年に日本で開催されたワールドユース選手権(現在のFIFA U-20ワールドカップ)でアルゼンチン代表を率いて来日したセサル・ルイス・メノッティ監督に、『サッカー・マガジン』がインタビュー企画をたてた。インタビュアーは、1978年のワールドカップでアルゼンチンを優勝に導いたメノッティ監督の手記を『サッカー・マガジン』で連載したときに監修してもらった牛木素吉郎さんである。そのなかで、メノッティがこのようなことを話している。

「私はよくいうんです。『フットボールという“もの”は存在しない』とね。フットボールという“もの”があるとすれば、ただの丸いボールそのもののことですね。(中略)人間がスポーツをするのです。人間がスポーツと結びつくのです。だから、まず人間がいなければならない。人を信じることができる人間、責任感のある人間です。それからサッカー選手があるわけです。だから、フットボールは存在しないが、フットボールをする人間は存在するのです」

「これは愛情と同じです。愛情というものは存在しない。お互いに愛し合う男性と女性が存在するのです。そして愛し合う人間同士が成長していくわけです。サッカーの発展についてもそうです。1980年代に、サッカーはどのように進歩するだろうか、という話でしたが、サッカーが進歩するのではなく、サッカーをする人間が進歩するわけです」(『サッカー・マガジン』1979年11月10日号)

 メノッティのように言えば、「女子サッカー」というものは存在しない。ただの「サッカー」とは別の「女子サッカー」という競技があるわけではないからだ。女子選手だけで構成されたチーム同士で試合をするときも、ルールは男子同士の試合とまったく同じである。ピッチの広さも、試合時間も、使うボールも、1チームの人数も、まったく変わらない。「サッカー」という競技を女性がプレーしているということだけなのだ。

 そのようなわけで、私は、「女子サッカー」という言葉自体をなくしていかなければならないと、ずっと考えてきた。バレーボールやバスケットボールなど、中学校や高校の大半に男女それぞれの部活動がある競技には、「女子サッカー」のような「別競技」じみた言い方はない。ごく自然に、「女子サッカーの大会」ではなく、「サッカーの女子大会」という言い方ができるようにしなければならない。

 おっと、やはり私は、「『女子サッカー』の敵」のようだ。

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