大住良之の「この世界のコーナーエリアから」 連載第41回 言葉だけですべてを伝える「サッカーとラジオの時代」全史の画像
1930年代、イングランドでサッカー中継が始まったころのラジオ。こうした受信機が全家庭の3分の1ほどにあり、最盛期には、年間100もの試合の実況中継が行われた。(イングランドNational Football Museumに展示)提供/大住良之
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スマホ時代の今日この頃、快適なサッカー観戦生活に、定額動画配信サービスや衛星放送は欠かせない。その、すべての始まりはラジオだった。究極のリモートであるラジオが世界を覆ったからこそ、サッカーがこれほど地球を席巻した。そこに試合の映像はまったくなく、サッカーIQが試される、想像力100%の世界だ――。

■「マラドーナの5人抜き」のラジオ実況

 昨年11月、ディエゴ・アルマンド・マラドーナが60歳の若さで亡くなったというニュースが世界を驚かせたとき、多くの人が思い浮かべたのが、1986年ワールドカップ・メキシコ大会の準々決勝、イングランド戦で彼が見せた「5人抜き」のゴールだっただろう。

 アルゼンチンでは、そのゴールのときにラジオの実況中継をしていたビクトル・ウーゴ・モラレスのコメントが繰り返し流されたという。長いサッカー史、そしてその放送の歴史においても、このゴールを伝えるモラレスのコメントほど心を打つものはない。

「マラドーナがパスを受ける。2人がマークするがそれをあっさりとかわす。突破して前進。ブルチャガに渡すか。いや、まだマラドーナだ。天才だ、天才だ、天才だ! タ・タ・タ・タ・タ・タ……。ゴール! 涙が出そうだ。神よ、サッカーを永久に! ゴラ~ッソ! ディエゴ~ル! マラド~ナ! あなたはどこの星から来たのか? (中略)神よ、ありがとう。この美しいゲーム・サッカーを、マラドーナを、そして私の涙を。アルゼンチン2、イングランド0!」

 ウルグアイ人のモラレスはこのとき38歳。35歳のときに活動の場をアルゼンチンのブエノスアイレスに移し、アルゼンチンの人びとにとって、スタジアムにおいてもテレビの前においても、サッカーを見るときの最高の「友」となった。当時、アルゼンチンの人びとは、スタジアムにはトランジスタラジオをもちこんでモラレスの放送を聞きながら試合を楽しみ、テレビ中継を見るときにもその音声は消してラジオをつけ、モラレスのコメントで観戦するのが当たり前のスタイルだった。

 モラレスの前のアルゼンチンには、ホセ・マリア・ムニョスという「国宝級」の名物アナウンサーがいた。あの「ゴ~~~~~~~ル!」という数10秒も続く絶叫の発明者である。日テレのアナウンサーがトヨタカップのときにまねをしてかん高い声でこれをやり、日本のファンはかなり引いたが、小太りのマリア・ムニョスの野太い声での絶叫はアルゼンチン国民を狂喜させた。そのピークは、1978年、地元開催のワールドカップでアルゼンチンの優勝を伝えた放送だった。

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