■伝説のスポーツアナウンサー

 日本で初めてのラジオによるサッカーの生中継がいつ、どんな試合だったか、よくわからない。しかし「伝説のスポーツアナウンサー」と言われた元NHKの鈴木文弥さんが定年で退局されるときに「1948年にNHKに入局、最初の任地の広島で、1949年の初放送が、高校サッカー広島県大会の決勝戦だった」という話を聞いたことがある。NHKのテレビ放送開始は1953年のことだから、当然ラジオでの実況中継である。

 鈴木さんは、東京オリンピックでは女子バレー決勝の「日本対ソ連」、メキシコ・オリンピックではサッカー3位決定戦の「メキシコ対日本」をテレビで実況中継した。NHKのスポーツ放送の「主役」に立ち続け、1970年と1971年には紅白歌合戦の総合司会も務めたという、全NHKの「エース」だった。サッカーだけでも、ラジオとテレビを合わせ34年間で400以上の実況中継をこなしたというが、最後の実況中継は、1982年元日の第61回天皇杯決勝、日本鋼管対読売サッカークラブのテレビ放送だった。日本サッカーリーグ2部で優勝を飾ったばかりの日本鋼管が、1部2位の読売クラブを下し、日本のサッカーのトップ層が厚さを増したことを示した歴史的な試合だった。

 その鈴木さんが「最も苦い思い出」と語ったのが、1971年9月にソウルで行われたミュンヘン・オリンピック予選のマレーシア戦だった。釜本邦茂、杉山隆一など「ベストメンバー」をそろえた日本は自信満々この予選に臨んだが、その初戦、0-0で迎えた後半の立ち上がり、鈴木さんが資料に目を落とした瞬間に、顔を上げるとマレーシアの選手が狂喜していたという。雨中の試合で日本は得意のパスワークを封じられ、終盤に2点を追加されて0-3での敗戦というショッキングな結果となった試合だ。

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