■大混乱だったフランス代表の第3ユニホーム
1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会では、フランスが思いがけない第3ユニホームを着た。ハンガリーとの試合、「青-白-赤」という第1ユニホームでプレーしなければならなかったのだが、マルデルプラタの試合会場にもってきたのは「白-青-赤」の第2ユニホーム。実は大会前の2月にFIFAが決めたのは、「フランスは白、ハンガリーは赤」というセットだった。しかし4月に変更され、「フランスは青、ハンガリーは白」と伝えられていたのを、フランスの用具担当がすっかり忘れていたのだ。フランスはすでにイタリアとアルゼンチンに連敗して敗退が決まっていたので、気も緩んでいたのかもしれない。
試合前のウォームアップで相手のウエアを見たキャプテンのアンリ・ミシェルがおかしいと思い、「白でいいんだよね」と確認すると、用具担当は「もちろん白」と応えたという。間違いが発覚したのはキックオフ予定時間の直前だった。だが「青」のユニホームは、マルデルプラタから400キロも離れたブエノスアイレスのホテルにある。
数人のボランティア役員が機転をきかせ、車で数分のところにある「アトレチコ・キンバリー」というクラブに駆け込み、ユニホームの借用を頼んだ。キンバリーの役員は、快く「白緑の縦じま」のシャツを貸してくれた。しかし胸にスポンサー名がはいっていないシャツは14枚しかなく、しかも背番号がついていなかった。予備の背番号(プリント用)も、GK用の1番と12番を除き、2から16番用しかなかった。そこでボランティアたちは大急ぎでアイロンを使って番号をプリントし、スタジアムに持ち帰った。
キックオフは40分間も遅れた。背番号はめちゃくちゃだった。本来18番のドミニク・ロシュトーは7番で出場し、ディディエ-ル・シクス(19番)は16番、オリビエ・ルイエ(20番)は11番、そしてクロード・パピ(12番)は10番をつけて出場した(この大会、ミシェル・プラティニは15番でプレーしていた)。交代で出場したベルナール・ラコンブ(16番)は、残っていた2番を着るしかなかった。とはいえフランスは3-1で勝利をつかみ、80年代の「黄金時代」へのスタートを切ることになる。