【J2「欧州へ」】“新潟の至宝”本間至恩がベルギーに渡るまでの「5年間の軌跡」!「調子に乗らないで」から「自分なりの武器」大成長の先に見える「サッカー日本代表」【戸塚啓のJ2のミカタ】(2)の画像
本間至恩(新潟)   撮影/中地拓也
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■J2屈指のドリブラーが欧州移籍を決断!

 新潟の至宝が、ヨーロッパへ旅立つ。

 本間至恩の海外移籍が、7月8日に発表されたのだ。クラブ名は公表されなかったが、ベルギー1部のクラブ・ブリュージュの一員となるようだ。

 本間は新潟のアカデミーで育ち、高校2年時の2017年にトップチームに2種登録された。同年5月のルヴァンカップでクラブ史上最年少となる公式戦出場を果たし、翌18年9月のツエーゲン金沢戦でJリーグデビューを果たす。1対1で迎えた80分に送り込まれると、90+2分に劇的な決勝弾を叩き出す。自身の代名詞的なプレーとなる左サイドからのカットインシュートで、ゴール右隅を射抜いたのだ。18歳1か月6日のゴールは、新潟の最年少得点記録である。

 試合後には声を弾ませて喜びを語った。

「リーグ戦の出場は初めてだったのですごくうれしかったし、出たらやってやろうと思っていました。決められてうれしかったけど、これで調子に乗らないで、今度はスタメンをとれるように、また練習から頑張りたいと思います」

 プロ契約1年目の19年シーズンは、28試合に出場して3得点1アシストを記録した。ブレイクしたのは翌20年だ。アカデミー出身選手では初めてとなる背番号10を背負い、スペイン人のアルベル・プッチ・オルトネダ監督のもとで2列目左サイドのポジションをつかみ取る。40試合に出場して7得点7アシストをマークしたのだ。オフにはJ1クラブからのオファーが届いたが、キャンプイン直前まで熟考した末に残留する。

 21年は32試合出場で5得点6アシストをマークした。20年に比べるとパフォーマンスに波があった印象で、33節のレノファ山口FC戦で右太もも肉離れの負傷を負い、その時点で彼の21年シーズンは終わりを告げた。

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