■CB冨安の「配球の質の高さ」は特筆すべきもの

 得点には直接的に絡んでいませんが、この試合で左のセンターバックとして先発復帰した冨安の配球の質の高さは、目を見張るものがありました。特筆すべきものだった、と言ってもいいぐらいです。

 とくに左足をものすごくスムーズに、ナチュラルに使うところです。左足で蹴ったほうが自然なら、左足を躊躇なく使う。両足で正確にパスを出せるセンターバックを相手にする際には、守備側は守る幅を広げなければいけない。右利きだから彼の右側を切り、パスコースを限定できていると判断しても、それを見て冨安は左足で出すことができる。守る幅を普通よりも広げられてしまうので、相手からすると「かなり対応が厄介なセンターバック」だと思います。

 それに加えて、彼はプレーのキャンセルもできる。ギリギリで判断を変えて、違うプレーを選択できます。フランス戦ではそこまで厳しいプレッシャーを受けていなかったですが、右足とそん色のない左足のビルドアップは、チームの大きな武器になっていたと思います。

 左足で蹴ることのできるメリットは、タイムロスがないことです。

 左センターバックが右足で左サイドバックへパスを出すと、ボールにはカーブのような軌道の回転が掛かる。後ろへ巻くような回転なので、左サイドバックはボールを微妙に待たなければいけない。
それに対して、左足のパスだと左回転になります。ボールの軌道が前向きで、左サイドバックは進行方向へ進みながら、パスに合わせてスッと出ていける。これは小さいようで大きな違い、差になっていきます。

 フランス戦では左サイドバックの中山が、冨安の左足からのパスを受けて攻撃に関わる場面が見られました。本職ではないポジションでプレーしていることもあり、中山は攻撃にやや控えめな印象を抱かせますが、この試合では起点になったり、上田のシュートにつながるクロスを供給したりしていました。フランスの守備組織、強度も関係はしてきますが、オーバーラップやドリブルよりも左足のパスの精度が主武器の中山に、冨安の巧みな配球がルックアップする時間を与えていました。

 もうひとつ言えば、旗手の臨機応変さも中山を助けていました。旗手も左サイドバックができるので、周囲の選手にどうやって動いて欲しいのかが分かる。タッチライン際のレーンとひとつ内側のレーンを、ふたりでバランス良く上手に使い分けていました。

(構成/戸塚啓)

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なかむら・けんご  1980年10月31日東京都生まれ。中央大学を卒業後03年に川崎フロンターレに入団。以来18年間川崎一筋でプレーし「川崎のバンディエラ」の尊称で親しまれ、20年シーズンをもって現役を引退した。17年のリーグ初優勝に始まり、18年、20年に3度のリーグ優勝、さらに19年のJリーグYBCルヴァンカップ、20年の天皇杯優勝とチームとともに、その歴史に名を刻んだ。また8度のベストイレブン、JリーグMVP(16年)にも輝いた。現在は、育成年代への指導や解説活動等を通じて、サッカー界の発展に精力を注いでいる。

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