■佐藤寿人&槙野智章の奇想天外トリック
こうした重圧から解放されようと、選手たちはいろいろな「トリック」を考案する。最も有名なのが、ヨハン・クライフのPKである。1982年12月5日、相手はヘルモント・スポルト。クライフはスポットに置かれたボールに近寄り、両手でつかんでセットし直すと、背を伸ばした瞬間、右足で払うように右わずか前に出した。そこにチームメートのイェスパー・オルセンが走り込みボールを一歩持ち出す。GKが飛び出す。するとオルセンは中央に戻す。そしてフリーのクライフが無人のゴールにけり込む。
これをほとんど真似したのが、サンフレッチェ広島の佐藤寿人だった。2010年4月27日のAFCチャンピオンズリーグ、浦項スティーラーズ(韓国)戦。ボールをセットした佐藤が軽く右前に流すと、走り込んできた槙野智章がゴールに突き刺した。
佐藤と槙野は相当な「PKおたく」だったらしい。その前月、3月6日に行われたJリーグ第1戦で、清水エスパルスを相手に試合開始早々にPKを得て、とんでもない「トリック」を披露している。高萩洋次郎への清水GK西部洋平のファウルで得たPK。槙野がセットし、数歩離れてゴールを背に立った。槙野の得意なPKは、GKに読まれないように背を向け、振り返ってボールに寄り、けるというものだった。しかしこのとき槙野はふり返らず、さらにペナルティーアークの外まで歩き出た。その瞬間、佐藤が走りだし、そのまま左足でけり込んだのだ。
あまりに意外な出来事に岡部拓人主審はゴールを認めてしまったが、もちろん、これはルール違反だった。ルール第14条(ペナルティーキック)には、「キッカーを特定しなければならない」という定めがあり、主審がキックの合図の笛を吹いた時点でキッカーが特定される。このときには、岡部主審が笛を吹いてから槙野がアークの外に出て、そこに佐藤が走り込んできた。そしてボールをけってしまった。けった時点で「反スポーツ行為」ということで反則になるのだから、佐藤に警告を与え、ペナルティースポットから清水の間接フリーキックで再開されなければならない場面だった。
しかしこのPKによる1点が認められてしまった。広島はその後追加点を決めることができず、試合は後半の追加タイムに大前元紀のゴールで清水が追いつき、1-1の引き分けに終わった。