■福田正博がJリーグ得点王を決めた一発
1995年に日本人として初めてJリーグの得点王になったのは、浦和レッズの福田正博だった。32得点のうち14点がPKだった。彼と得点王の座を競り合っていたのがジュビロ磐田のサルバトーレ・スキラッチ、1990年ワールドカップの得点王だ。しかし31得点で得点王争いのトップに立っていたスキラッチは11月上旬の試合を最後にケガの治療のためにイタリアに帰国してしまい、福田が猛追を開始、最終節を残して31得点とし、ついに追いついた。
最終節の相手は横浜フリューゲルス。0-0で迎えた後半30分、浦和はPKを得る。キッカーは福田。しかし福田は、1カ月半、10試合もPKによる得点がなかった。その間に3回のチャンスがあったのだが、3回連続で失敗していたのだ。この横浜F戦の1週間前には鹿島アントラーズを相手にした試合でPKをけり、ゴールのはるか上にけり上げてしまい、チームも1-2で敗れた。試合後に福田は「もうPKはけらない」と、弱気の言葉をもらしている。
しかしシーズン最終戦、勝利をかけたPKという場面で、福田は自らボールを拾い上げ、慎重にセットする。ペナルティーエリアのラインまで下がると、両手を腰に当てて下を向き、ゆっくりと精神統一する。そして意を決すると、右足でゴール左隅にけった。横浜FのGK森敦彦は逆に跳び、福田はすべての重圧から解放された。