ヨハン・クライフとマールボロ

 選手時代から喫煙が有名だったのは、ヨハン・クライフだ。彼は子どものころからタバコを吸い、プロ選手になってもやめなかった。オランダ、スペイン、そしてアメリカと、「空飛ぶオランダ人」のニックネームそのままに活躍の舞台を移し、1974年ワールドカップでは後の世界のサッカーに多大な影響を与える「トータル・フットボール」の具現者として世界の頂点にあったクライフの喫煙を、誰も止めることはできなかった。

 1980年の秋、彼がワシントン・ディプロマッツで来日した際、『サッカー・マガジン』は神戸でインタビューすることに成功した。インタビュアーは賀川浩さんである。神戸のオリエンタル・ホテルで、夕食後、お茶を飲みながら1時間という約束だったが、賀川さんの質問が詳細な技術論に集中したため、クライフは「こんなインタビューを受けたのは初めてだ」と大喜びで話に熱中し、2時間も話し続けた。当然ながら、その間、クライフは何本かお気に入りの「マールボロ」を吸った。彼の喫煙はすでに有名だったから、賀川さんも、立ち会った私も驚かなかった。

 クライフは現役を引退し、監督になってもタバコを吸い続けた。1日に20本程度だったという。しかしFCバルセロナの監督を務めていた1991年、突然、心臓発作に襲われて緊急手術を受ける。そして医師に「タバコをやめないと死ぬ」と言われ、以後、タバコはきっぱりとやめる。代わってベンチでバルセロナの試合を見守る彼の口にくわえられたのは、「ぺろぺろキャンディー」だった。

 バルセロナのあるカタルーニャ自治政府の要請に応えて、クライフは禁煙キャンペーンのテレビCMに出演した。スーツとコート姿、「監督スタイル」のクライフ。飛んできたタバコ箱をジャンプしながら胸で受けると、足だけでなく、肩、頭などで十数回リフティングをする間、彼自身が語るこんなコメントが流れる。

「サッカーは私の人生にあらゆるものを与えてくれた。しかしタバコがそれを台無しにするところだった」

 そして最後に、左足の見事なボレーキックでタバコ箱を力強くキック。画面いっぱいに砕けたタバコ箱とタバコが映る……。

 だが43歳で禁煙しても、長年の喫煙で彼の体は痛めつけられていたのだろう。1997年に再度の心臓疾患が見つかって監督業を断念、2016年には肺がんと診断され、わずか1カ月で帰らぬ人となった。68歳だった。

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