■メノッティの左指の間

 史上最も有名な「喫煙監督」は、1978年ワールドカップでアルゼンチンを初優勝に導いたセサル・ルイス・メノッティだ。彼の手からタバコが手放されることはほとんどなく、1試合ほとんどチェーンスモーク状態で、試合が終わると彼のベンチの下は吸い殻でいっぱいだった。

 1978年の秋、『サッカー・マガジン』は、ワールドカップに優勝して間もない彼の手記の連載を始めた。提携するアルゼンチンの『エル・グラフィコ』誌の増刊として発行されたものを翻訳し、ほぼ1年間かけて連載したのだが、世古敏文さんの翻訳を牛木素吉郎さんが全面的に書き直してくれて、非常に評判が良かった。後に、何人ものJSLの監督から、全連載のコピーを頼まれたものだ。その連載第1回を始めるにあたって、メノッティを表紙に使った。実は、『サッカー・マガジン』史上で監督を表紙にしたのは初めてのことだった(デットマール・クラマー・コーチが表紙になったことはあった)。

 困ったのは写真だ。その年の3月の試合中に撮影されたいい写真があったのだが、当然のことながら、彼の左手の人さし指と中指の間にはタバコがはさまれ、煙が立ちのぼっていたのだ。タバコの煙で霞んだ編集部という劣悪な環境で仕事をしていても、私は、監督や協会役員のインタビュー写真などにタバコを出すことは絶対に避けようと考えていた。『サッカー・マガジン』の読者には、中学生、高校生がとても多かったからだ。本当は切りたくなかったメノッティの左手を少し切ることにし、幸い、デザイナーが不自然にならないよう文字を配置してくれた。

 基本的に「頭脳労働者」である監督たちには、タバコは必要なものだったのかもしれない。1992年はじめから1993年の「ドーハの悲劇」まで日本代表監督を務めたハンス・オフトさんもヘビー・スモーカーで、ベンチでもよく吸っていた。1994年末から1997年秋にかけて日本代表監督を務めた加茂周さんも愛煙家だったが、練習が終わってベンチにもどり、さて一服というところにカメラマンが寄ってくると、待ったをかけ、「タバコを吸っているところは撮らないでくれ」と頼んだ。大人としての見識だと思った。

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