パリ・オリンピック予選前、最後の調整となる2試合が終了した。サッカーU-23日本代表は国際親善試合2試合を行い、U-23マリ代表には1-3で敗れ、同ウクライナ代表には2-0で勝利した。8大会連続の五輪出場、さらに1968年以来となるメダル獲得に向けて、若き日本代表は現在、世界と比べて、どのくらいのレベルにあるのか。サッカージャーナリスト後藤健生が考察する。
■東京V時代の「ダイナミックさを取り戻した」藤田
ウクライナ戦でボランチに入ったのは、マリ戦でも終盤に登場した藤田譲瑠チマ(シントトロイデン)と、マリ戦では出場機会がなかった松木玖生(FC東京)の2人だった。
藤田は、マリ戦では76分に川崎颯太(京都サンガF.C.)に代わって交代出場すると、それまでは川崎と山本理仁(シントトロイデン)の2人がボランチとして3列目に並んでいたのだが、藤田が入ってアンカー(中盤の底に位置して攻守に貢献するMF)としてプレーすることによって、山本を2列目に上げて、より攻撃的な並びに変更することができた。
かつて東京ヴェルディ在籍中には、持ち前のアジリティ(敏捷性)の高さを生かして相手ボールを奪取し、さらに奪ったボールを前線に供給したり、自らドリブルで持ち上がったりして中盤を支配するようなプレーをしていた藤田だったが、横浜F・マリノスに移籍してからは出場機会を減らし、プレーぶりが小ぢんまりしてしまっていた。だが、マリ戦での藤田は、東京V時代のようなダイナミックさを取り戻していた。
ウクライナ戦では、その藤田が松木と組んだ。藤田がより守備的な位置を取り、松木は攻撃に絡んだり、守備に戻ったりしてバランスを取り、78分に交代で退くまで攻守のつなぎとして素晴らしいプレーを続けた。
藤田がアンカーとして後方に構えているから、松木は攻撃にも積極的に絡めるのだし、逆に松木という戦術眼のあるMFがバランスをとってくれるから、藤田も後顧の憂いなく、攻撃に出ることができる……。2人の間には、そんな良好な関係性ができていた。
さらに、藤田と松木の2人に加え、セカンドトップの荒木遼太郎(FC東京)も必要な場面では中盤での守備に加わったので、ウクライナの中盤は無力化されてしまった。
また、松木は前半15分くらいまでには相手の中盤のキー・プレーヤーがキリロ・シヘイロフであることを見抜き、絶えずシヘイロフを意識しながらプレーした。スカウティングによって事前に情報を持っていたにせよ、ピッチ上でそうしたことを感じ取ってプレーできるだけの戦術眼を持っていたのだ。
地味なプレーが多かったかもしれないが、「ウクライナ戦完勝」の立役者は、実は松木だったのではないだろうか。