■日本サッカー史上、二度とない喧噪

 第1戦が行われたのは、1988年に造られたばかりのフットボール専用スタジアム「シドニー・フットボール・スタジアム」(2018年に閉鎖され、全面改築)。観客は4万3967人で、当時のサッカールー(オーストラリア代表の愛称)の観客動員記録でした。

 それから、4年。1997年にはフランス・ワールドカップ予選が行われました。

 2002年大会の共同開催国に決まった日本にとって、「出場権獲得」は至上命題でした。出場経験のない国が開催国になった例は(第1回のウルグアイと第2回のイタリアを除いて)なかったからです。

 しかし、アジア最終予選は大激戦となり、途中で加茂周監督が解任されて岡田武史コーチが監督に昇格。それでもなかなか勝点を伸ばせなかった日本でしたが、最後にソウルでの韓国とのアウェー戦と最終カザフスタン戦に連勝してグループ2位を確定。マレーシアのジョホールバルで行われた第3代表決定戦も延長戦にもつれ込んだものの、岡野雅行のゴールデンゴールで日本はようやく出場権を手にしました。

 山あり、谷ありの大激戦。日本中がヒステリー状態になっていました。たぶん日本サッカー史上、もう二度とないような喧噪の中での予選でした。

  1. 1
  2. 2
  3. 3