
大陸間プレーオフも終了し、カタール・ワールドカップ出場国が出そろった。「大陸間プレーオフ」。蹴球放浪家・後藤健生にとっては、懐かしい言葉でもある。四半世紀も前、蹴球放浪家は日本が出場を回避したにもかかわらず、ワールドカップ予選の大一番を目撃するため、オーストラリアへ飛んでいた。
■マラドーナが出た大陸間プレーオフ
オーストラリアが大陸間プレーオフを勝ち抜いて、ワールドカップ出場を決めました。
大住良之さんの最近の記事「ワールドカップ予選大陸間プレーオフの長い物語」によると、オーストラリアは大陸間プレーオフに7回も出場したことのある「常連」なんだそうです(だから、緊張感に“押し潰される”ようなことがなかったのでしょう)。
実は、僕はその「7回」のうちの2大会を現地で観戦しています。
最初は1994年アメリカ大会予選。予選敗退の危機に、急遽代表復帰したディエゴ・マラドーナを擁するアルゼンチンとの試合でした。
第1戦が行われたのは1993年の10月31日。「ドーハの悲劇」の3日後のことでした。僕は、ドーハからの帰国の途中シドニーに回って、この試合を観戦しました(「蹴球放浪記」第70回「僕の荷物は……あれっ、もう着いてる!」の巻参照)。
36分にマラドーナのアシストでアベル・バルボが決めてアルゼンチンが先制。しかし、オーストラリアもアウレリオ・ビドマーの得点ですぐに追いついて、試合は1対1の引き分けで終わりました。その後、両チームは南極大陸上空を飛んでブエノスアイレスに移動。第2戦ではアルゼンチンが勝って、予選突破を決めました。