後藤健生の「蹴球放浪記」第104回「小柳ルミ子に声をかけられてしまった件」の巻(2)「日本代表ファミリー」との出会いの画像
アジアユース選手権98のADカード 提供/後藤健生

 サッカージャーナリスト・後藤健生は、取材を通じて多くの人を知る。だが時には、相手から記憶に留め置かれることもあるのだ。時にはその相手が、芸能人であることも…。

■チェンマイでの思い出

 そういえば、「あ、後藤さん!」という台詞には他にも覚えがあります。ちょっと待って。今の言葉、プレイバック、プレイバック……♪。

 そう、あれは、1998年の秋のこと。場所はタイ北部のチェンマイでした。ワールドユース選手権(現、U-20ワールドカップ)出場権を懸けた第30回アジアユース選手権(次回からUー20アジアカップ)が開かれていました。

 清雲栄純監督率いるUー19日本代表小野伸二稲本潤一、本山雅志といったいわゆる「黄金世代」がいる素晴らしいチームでしたが、この大会ではグループリーグ、決勝戦と韓国に2度敗れて準優勝に終わってしまいました。

 ちなみに、韓国にはその後も長く日本の宿敵となったイ・ドングク(李東国、後に「同国」と改名)がいて、日本が1対2で敗れた決勝戦でも決勝点を決められてしまいました。

 なお、日本チームはその後、監督がA代表とオリンピック代表を率いていたフィリップ・トルシエに交代。翌年4月にナイジェリアで開かれたワールドユースでは決勝進出を果たすことになります。

  1. 1
  2. 2
  3. 3