■18年には森保監督のもとでプレー。しかしクラブでは…
若年層から日本代表に名を連ね、大型ボランチとして将来を嘱望されてきた選手である。18年1月には、森保一監督のもとでAFC U―23選手権に出場している。板倉滉、三好康児、旗手怜央らの東京五輪代表がいるチームに、唯一の高校生として招集された。グループリーグの北朝鮮戦で先発すると、2アシストを記録して3対0の勝利に貢献した。
翌19年にはU―20ワールドカップの代表入りを果たす。育成年代の代表で着実に経験を積んでいく一方で、所属クラブではポジションをつかみ取れない。
磐田のトップチームへ昇格した18年は、リーグ戦1試合の出場に終わった。名古屋グランパスへ期限付き移籍した19年も、リーグ戦のピッチには2度しか立っていない。
所属クラブで伊藤が格闘している間に、同世代の選手たちはJ1やJ2のクラブでポジションをつかんでいく。19年のU-20ワールドカップでチームメイトだった菅原由勢と中村敬斗は、同大会終了後にヨーロッパのクラブへ移籍した。
今回のシュトゥットガルト入りについて、伊藤は「正直なところ、少し遅れていると思う」とか「少し遅いぐらいかなと思います」と話している。U-20ワールドカップのチームメイトでは、藤本寛也、斉藤光毅、齊藤未月、鈴木冬一、原大智が、ヨーロッパのクラブに在籍している。彼らだけでなく同世代の多くが、すでに海を渡っている。「やっとチャンスが来たので、行くだけで満足せずにどれだけ結果を残せるか。とにかく結果を残すことだけを考えたい」と、伊藤はすでに臨戦態勢だ。