■イタリアでの冷遇とドーピング疑惑
新天地はイタリアのブレシアだった。ロベルト・バッジョとのプレーを熱望しての移籍だった。2001年10月14日にデビューを果たし、2002年3月30日にはセリエA初得点を記録している。
だが、初めての国外挑戦には困難も待ち受けていた。ブレシアから移籍したローマでは、ファビオ・カペッロ監督に冷遇された。「偉大なプロフェッショナルだ」とグアルディオラを称賛していたカペッロ監督だが、「選手として、人間として彼をリスペクトしている。しかしながら彼に与えられるような余白がない」とチーム状況からグアルディオラを積極的に起用することはなかった。
「フットボールの観点から言えば、僕も、ローマも、あそこでのプレーを望んでいなかった」とグアルディオラは、のちにローマにおける日々を振り返っている。ローマ退団とともにブレシアへの復帰を決め、ロベルト・バッジョと再会し、若きアンドレア・ピルロとともにプレーした。
イタリアでの日々は順風満帆とは言えず、ドーピング疑惑もかけられた。最終的には2009年9月にイタリア・オリンピック委員会がグアルディオラの無罪を発表して、身の潔白は証明されたものの、イタリアでのピッチ内外の経験が彼を、より「リアリスト」にしていったことは間違いない。