■静寂を破るスタンドからの低い声
だが1分間というのはそう短い時間ではない。その緊張感に耐えかねたのか、ひとりのサポーターがつぶやきのような低い声を上げた。
「バモ・アルヘンティーナ!(がんばれアルゼンチン)」
たった一人の声がはっきりと聞き取れるほど静まり返ったスタンドからは、「シー、シー」という万国共通の注意を促す声があちこちから上がった。そして再び静寂が訪れる。
ようやくそれを破ったのは、レフェリーの笛ではなかった。スタンドの一角から上がり始めた、低く、しかし力強い声だった。
「ルッケ、ルッケ……」
ルーケを励ます声はまたたく間に広がり、やがてスタンド一面、8万人の大合唱となった。そして大拍手。本当に感動的な光景だった。
イタリア戦を欠場したルーケは2次リーグ初戦のポーランド戦にも戻らなかったが、決勝進出をかけたブラジル戦の前に練習に復帰した。黒い布で右腕をつったままでの練習復帰だった。アルゼンチン代表のセサル・メノッティ監督は練習試合でルーケを相手の大柄なDFに厳しくマークさせた。しかしルーケはそれを恐れるどころか果敢なプレーを見せ、メノッティを安心させた。そしてブラジル戦で復帰、続くペルー戦では2ゴールを記録し、優勝に貢献した。