■もっとも雄弁だった完全な沈黙

 さて、私がこれまでで最も強い印象を受けた黙とうが、1978年ワールドカップ、ルーケの弟のためのものだった。

 6月6日、アルゼンチンはフランスと対戦し、熱戦の末、後半28分にルーケが鮮やかなミドルシュートを決めて2-1の勝利をつかんだ。だが試合終盤、ルーケはフランスDFクリスチャン・ロペズのファウルを受けて倒れ、右ひじを脱臼。治療を受け、右腕を包帯で体に固定したまま最後の数分間を戦った。アルゼンチンは連勝で2次リーグ進出を決めたが、ルーケの離脱という代償は大きかった。

 だがそれ以上のショックが、6月10日、グループリーグの最終戦、グループ首位を決めるイタリアとの決戦の朝にルーケを襲った。24歳の弟オスカルが交通事故で亡くなったのだ。負傷した兄レオポルドを励まそうと、この朝、友人の車に乗り、ブエノスアイレスに向かっていたときの事故だった。その報を聞いて、ルーケはすぐにアルゼンチン代表の合宿所を離れた。そしてその夜、リバープレート・スタジアムでは、試合前にオスカル・ルーケを悼む黙とうが行われた。

 8万人の観客で立錐の余地もないほどに埋まったスタジアムは、黙とうの合図とともに水を打ったように静まり返った。大騒ぎをしていた8万人がいっせいに動きを止め、沈黙するという日常にはない感覚を、私は生まれて初めて味わった。風とも言えない空気の動きの音さえ聞こえるほどの静けさ――。それは、もし私が鉛筆1本を落としたら、その音がスタジアム中に響き渡るのではないかという、真の静寂だった。

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