■目は閉じても、開けてもいい
ネットで調べると「正しい黙とうの方法」がいろいろと出てくるのは、やはりこの方法が日本で完全に定着していない証拠なのだろう。共通するのは、「口をつぐむ」ことと「体を動かさない」ことである。この2つだけで真の静寂が生まれることは、ルーケの件でも明らかだ。そしてそれ以外にはルールはない。スタジアム到着が遅れ、まだゲート付近にいて自分の席にたどり着いていない人も、このときにはその場で動きを止め、直立しなければならない。売り子も同様である。
基本的には起立すべきだが、足が悪い人が無理をして立つ必要はない。1939年に出版された本には、「一般に直立して頭を前に三十度くらいの角度に傾けることになっているようである」と書かれているらしいが、顔をまっすぐにしていてもいいし、目を閉じても、開けていても失礼には当たらない。葬儀の場で黙とうをするときには「合掌」もふさわしいかもしれないが、スタジアムだったら、両手を体の横に下げているのが普通だろう。
大事なのは、口を閉じ、体の動きを止めて、対象になる人(人びと)に思いを馳せることだ。心の中で語りかけ、自分の気持ちを見つめ、思いを新たにすることは、自分自身にとっても大切な時間と言えるだろう。
ただ、「黙とう97年」の歴史があるにしては、日本のスタジアムでの黙とうはどこかすっきりしない。私は、外国のように、黙とうと拍手が1セットになっているのが好きだ。1分間の黙とうが終わり、レフェリーが笛を吹く。あるいは「お直りください」の場内アナウンスが流れる。その合図とともに立ったままで数十秒の盛大な拍手が続いたら、それまで自分ひとりのものだった対象者への思いがスタジアムにいる全員で共有されていることが感じられ、すっきりとした黙とうの感動が生まれるのではないかと思うのである。