■「フェアプレー個人賞」の3回受賞はひとりだけ

 寿人というサッカー選手、ストライカーを語るうえで忘れてはならないことがある。それは彼の豊かな人間性である。ストライカーという相手の厳しいマークにさらされるポジションにあって、ときにひどい反則を受けることがあっても、彼はけっして報復に走るようなことはなかった。守備のタスクも手を抜かずにこなしたが、ラフなタックルをかけることもほとんどなかった。

 ゴールとともに、あるいはゴール数以上に寿人の輝かしい記録は、2009年から2015年にかけて、実に足かけ7シーズン、193試合連続でイエローカードもレッドカードも受けなかったことではないだろうか。彼は2007年、2012年、2013年と、3回にわたってJリーグの「フェアプレー個人賞」を受賞している。2回の受賞者は他に6人いるが、3回の受賞者は寿人ひとりである。これは本当に大きな勲章だ。

 東南アジアの4カ国共同開催で行われた2007年のAFCアジアカップの1シーンを忘れることができない。勝てば次大会のシード権が得られる韓国との3位決定戦。延長戦も終盤、後半33分に投入された寿人がシュートを放つが、惜しくも韓国GKがセーブ。そのとき、寿人は韓国DF呉範錫(オ・ビョンソク)が倒れているままなのに気づいた。足がつって動けないのだ。寿人はためらうことなく走り寄り、足を伸ばした。試合はもうすぐ延長戦が終わろうとしているが、スコアは0−0だった。もういちどチャンスがほしい、1秒でも無駄にしたくないという状況のなかで見せた行為に、私は寿人の深い人間性を見る思いがした。

「ゴール」という技術を探求する飛び抜けた「知性」が満開の花を開かせるには、こうした人間性が不可欠なものだったのではないか——。私はそんな気がしてならない。卓越した知性をもつプレーヤーはたくさんいる。しかし寿人のように、豊かな人間性によってその知性を昇華させた者はそう多くはない。この人間性があったからこそ、家族をはじめとした多くの人が彼のために何かをしようと懸命に動いたのではないか。そしてJリーグで打ち立てられたプロサッカー選手としての輝かしい記録の数々は、そうした人びとの助けのうえにあったことを最もよく知っているのは、おそらく寿人自身に違いない。

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