■17歳の日に話したこと
寿人が双子の兄弟であり、兄・勇人(2019年シーズンで引退)とともにジェフ市原・千葉のジュニアユース、ユースで育ったことはよく知られている。茨城県の古河市生まれ。間もなく一家で埼玉県の春日部市に移り、父はそこで中華料理店を開いた。非常に繁盛した店だったが、兄弟がジェフの育成組織にはいったため店をたたみ、仕事を変えて一家で千葉県の習志野に引っ越したという。
ジュニアユース時代からの同学年には阿部勇樹(現在浦和レッズ)がいた。高校2年でJリーグにデビューした阿部からは遅れたが、兄弟そろって2000年にジェフとプロ契約を結んだ。
ちなみに、佐藤兄弟は、Jリーグ「第1号」の「双子選手」だったが、同じ2000年にサンフレッチェ広島の森崎和幸・浩司の双子もユースからプロに昇格し、「第1号」を分け合う形になった。佐藤兄弟はこの2人をライバル視していたが、後に寿人は広島に移籍して森崎兄弟とチームメートになることになる。
1999年12月、プロ契約することが決まった直後の佐藤兄弟にインタビューしたことがある。「双子」とは思えない対照的なパーソナリティーをもった若者たちだった。勇人は自分に正直で、熱いハートをそのままプレーで表現するファイターだった。寿人は「優等生」タイプに見えた。受け答えが非常にしっかりしており、「一瞬の速さとオフザボールの動き」と、自分のストロングポイントを的確に話してくれた。
「中1のときも、高1のときも、ずっとサブだった。だから試合に出られなくてもだいじょうぶです。そういうときはひたすら練習するだけです。残って練習して、1年ぐらいたったら、ちょっと変わってきたなと思った。それから点が取れるようになった」。そんなことを、まだ18歳の誕生日を迎えていない寿人はしっかりとした口調で話した。