■紆余曲折をへての大輪の花

 だが当時のジェフでは韓国代表FW崔龍洙(チェ・ヨンス)らが活躍しており、1年たっても2年たってもなかなかコンスタントな出番は回ってこなかった。そこで2002年にJ2のセレッソ大阪に期限付き移籍。しかしシーズン前に全身の筋肉に力がはいらないギラン・バレー症候群に襲われて力を発揮できず、翌年にはさらにベガルタ仙台に期限つき移籍。2004年に仙台はJ2に降格したが、寿人は「完全移籍」に切り替えて仙台に残り、そこでついに力を発揮する。全44試合に出場して20得点。目標のJ1昇格はならなかったが、サンフレッチェ広島からオファーを受け、それから12シーズンを過ごす紫のユニホームにそでを通すことになる。

 以後の活躍は、記録を見るだけでも明らかだ。広島で11年連続して2ケタ得点を記録し、エースとして君臨、2012、2013、2015と3回のリーグ優勝の立役者となった。2012年の初優勝時には、得点王(22点)、MVP、そして「年間最優秀選手賞」、さらには、FIFAクラブワールドカップ(広島は5位)でモンテレイ(メキシコ)のセサル・デルガドと並ぶ3ゴールで得点王にも輝いている。

 2017年、J2に降格した名古屋グランパスに移籍して1年でのJ1復帰に貢献、2019年には古巣のジェフ市原・千葉に戻り、2020年末、引退を発表した。

 2001年のFIFA U−20ワールドカップに出場、2006年以後は、ジーコ、イビチャ・オシム、岡田武史、アルベルト・ザッケローニと、4代にわたる日本代表監督から招集を受け、計31試合に出場し、4ゴールの記録を残しているが、その数字ほどには「日本代表・佐藤寿人」のイメージは強くはない。

 31試合の出場記録はあるが、うち29試合は交代出場だった。彼の得意な得点能力を生かそうと、終盤に投入される形がほとんどだったのである。代表デビューはワールドカップ・ドイツ大会を前にした2006年2月10日のアメリカとの親善試合(サンフランシスコ)。0−2で迎えたハーフタイムに巻誠一郎とともに投入された。寿人に続いて後半10分に投入された長谷部誠も、この試合が日本代表デビュー戦だった。

※第2回はこちらより

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