■ピッチから病院へ一直線

「あれはね、実はルール上は認められないんです」

 あるとき、日本サッカー協会の審判関係者からこんな話を聞いた。タンカはゴールポストやコーナーフラッグと同様の競技場の備品であり、本来、広告はもちろん、クラブのロゴなどを入れることも許されてはいないというのだ。しかしその関係者は甲府の窮状もよく理解していたのだろう、禁止する動きは起こさなかった。その結果、いまでは多くのクラブが「タンカ広告」を採用している。

 少しおかしかったのは、タンカに書かれた広告が整形外科医院の名称であったことだ。たしか、「箭本(やもと)外科整形外科医院」のものだった。試合を見ながらその病院がどこにあるかを調べた。甲府駅のすぐ近くだった。選手が負傷してタンカで運び出される。タンカをもつ4人がそのままスタジアムを出て、まるで江戸時代の「駕籠かき」のように、「1里半(約6キロ)」の道を病院までエッホ、エッホと選手を運び、受診の受け付けまでする図が頭に浮かび、不謹慎ながら記者席でクスリと笑ってしまった。

 ウィキペディアによれば、タンカが記録に出る最初は1380年、日本でいえば室町時代の3代将軍、金閣寺を建てた「たれ目」の足利義満の時代だという。しかし歩けないケガ人だけでなく、死者を運ぶときにも、タンカのようなものを使うのは、おそらく旧石器時代からのことではないかと想像する。時代小説を読んでいると、江戸時代には「戸板」を使ったようだが、現在のタンカと同様、1人を運ぶには4人が必要だった。

PHOTO GALLERY タンカの乗り方がまったくわかっていないセバスティアン・ソリア(アル・アラビ)写真:AFP/アフロ
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