■ミシャがおおいに怠けたこと

 この記事をしめくくるにあたって、ひとりの人物の名を挙げなければフェアではないだろう。杉浦大輔さん、46歳。埼玉県出身の杉浦さんは、東洋大学卒業後、ドイツに留学、プレーしながらケルン体育大学に通い、2006年当時、指導者の道を目指していた。偶然が重なって広島の織田強化部長とミシャの初会合の通訳として立ち合い、広島がミシャ招聘を決断すると、織田さんとミシャの両者から要請を受け、学業を中断してミシャの通訳となった。そしてその後は、シーズンオフごとにドイツに戻って大学院まで修了させ、コーチングライセンスを獲得した。広島では4年目の2009年からコーチとなり、以後浦和、札幌とコーチ(兼通訳)としてミシャの仕事を支えてきた。

 日本に住んで15年目にもなるのに、ミシャは日本語を解さない。それは、ミシャのアイデアや哲学を、ミシャにも話し相手にもまったくストレスを与えることなく、杉浦さんが正確に通訳し続けてきたことの何よりの証拠だ。杉浦さんは、あたかも、サッカーのチームにおける「スーパーストライカー」のようだ。おかげで、ミシャは「日本語を修得する」という大変な作業を完全に怠け、すべての時間と全精力を、サッカーを考えること、新しいアイデアを生み出し、それを選手たちに植えつけることに費やすことができた。

 ミシャの幸運は、杉浦大輔さんというこの上ないパートナーと出会ったことだった。それはまた、天才的なアイデアと深い人間性が不可分に結びついたミシャという監督をリーグの主要クラブにもち、その恩恵を15年間の長きにわたって享受し続けてきた日本サッカーの幸運でもある。

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