■あふれる笑顔の裏側に

 しかしこうしたサッカーの側面だけで、私の「ミシャ論」を閉じることはできない。ミシャの人間的な側面こそ、15シーズンという長きにわたって彼をJリーグ監督の地位にとどめ、大きな成果を生む原動力だと思うからだ。

 ミシャという人物を考えるとき、真っ先に思い浮かぶのは、人を温かく包み込むその笑顔だ。選手やスタッフ、クラブスタッフだけでなく、レフェリー、相手チーム監督、そして相手チームの選手たちにまで、彼はあふれるような笑顔を見せ、抱擁をかわす。

 彼のような人を見ると、私はいつも「たっぷり愛情を注がれて育ってきたのだろうな」と思う。彼は1957年10月18日に旧ユーゴスラビア(現在はセルビア)の「ロズニツァ」という町に生まれた。セルビアの西端に当たり、ドリナ川というそう大きくない川を隔てて現在はボスニア・ヘルツェゴビナに接する町だ。その美しい町で、両親だけでなく、彼はひとりの姉にもかわいがられて成長したに違いない。

「当時はセルビアもボスニアもクロアチアも関係なく、誰もが仲良く暮らしていた。お互いが親切で、助け合って暮らしていた。とても素晴らしい町だった」と彼は語る。

 だがその一方で、彼は14歳で首都ベオグラードの名門・レッドスターのユースにはいり、故郷を離れた。そして彼がオーストリアでプレーし(ポジションはリベロだった)、家族ももったころ、ユーゴスラビアは分裂し、それに続いて悲惨な内戦も起きた。彼はオーストリア国籍を取得し、以後、故郷を離れて暮らしている。誰にでも笑顔を見せるミシャの心の奥には、故郷を奪われた者の心細さがあるのかもしれない。

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