■韓国の「北朝鮮展望台」と同じように

 今では自由に行き来できるようになった中国ですが、当時はまだ簡単には入国できませんでした。すでに1972年に国交回復し、直行便も飛んでいたのですが、中国側の招待がないと入れませんでした。入国してからも、現地の旅行会社が日程を決め、係員(監視役)がいつも付いているのです。つまり、今の北朝鮮のような感じだったのです。

 落馬洲の丘に登ると、その中国の様子が覗けるというのです。そう、現在、韓国にある北朝鮮展望台と同じような感じです。

 こうして、丘の上から覗いた、深セン河の向こう側は一面の田んぼで、水牛が農作業をしている、のどかな農村が広がっているだけでした。

 また、このとき、香港にある中国旅行社が日帰りのツアーというのをやっているというので参加して深センの街にも行ってきました。外国人観光客の団体ツアーです。当時の深センは、ほとんど見るところもない小さな田舎町にすぎませんでしたが、中国に入れるというのが最大のウリだったのです。

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