■中途半端で「魅力的」なルール
1863年12月に最終的に決められたルールが初めて改定されたのは、2年数か月後の1886年2月のことだった。長時間の会議の末、FAは「オフサイドルール」を大幅に緩和した。少なくとも3人の相手側選手が自分と相手ゴールラインの間にいれば、「アウトオブプレー」にはならないことになったのである。すなわち制限つきながら、前方の味方への「パス」が許されることになったのである。
それまでのサッカーでは、ひたすらドリブルで進むか、大きく蹴って自分か、自分より後方にいる選手がボールを追うという攻撃方法しかなかった。
ところが、ロンドンの「FA」と違うルールでプレーしていたシェフィールドでは、オフサイドなしでプレーしていた。FAの事務総長で、1863年のルール起草者でもあったエベニーザー・コッブ・モーリーは、シェフィールドのルールを気に入り、FAでもオフサイドをなくそうと主張した。しかしパブリックスクール時代から慣れ親しんだ「オフサイド」に愛着を持つ理事も多く、「妥協の産物」として「3人制オフサイド」が誕生したのである。
これが第一の「革命」だった。ラグビー・スタイルのフットボールと大きな違いのなかったサッカーを個性あるスポーツとして確立させたのは、「制限付きだが前にパスしていい」という、まことに中途半端な、それでいて魅力的なルールだった。