■「未来の英国紳士」のために誕生
そもそもオフサイドのルールは、英国のパブリックスクール(王立など、公立の寄宿制男子中高等学校。貴族ではない富裕階級=身分を問わず=の子弟のためにつくられた)で教育の一環として行われていた「フットボール」のなかで誕生したと言われている。
全員で力を合わせてボールを相手ゴールに向かって運ぶフットボールは、教育に役立つと考えられた。パブリックスクールが送りだそうとしていた「英国紳士」は、卑劣なことをしてはならない。だからボールより前(相手ゴール寄り)に行ってしまった選手は、いったんボールより後ろに戻らなければプレーに加わることはできないという、厳格なルールがつくられたのだ。
1863年に「フットボール・アソシエーション(以降FA=イングランド・サッカー協会)」が設立されて最初のルールが書かれたときには、このとおりのルールだった。ボールより前のすべての選手はプレーに関与できないというオフサイドルールは、今日でもラグビー競技に生きている。誕生当時のサッカーは、ラグビー(まだラグビー・ユニオンはできていなかったが…)と大きな違いはない競技だったのだ。
もっとも、当時は「オフサイド」という言葉はルール上では使われず、「ひとりの選手がボールを蹴ったとき、そこより相手ゴールラインに近いところにいる味方選手は『アウトオブプレー』になる」とある。「アウトオブプレー」とは、プレーに参加したり、相手を妨害してはならないということを意味する。
「オフサイドoffside」とは、「チーム=side=を離れてしまっている」という意味であり、パブリックスクールのフットボール時代から使われていた名称が、1863年のFA誕生以降も通称されるようになり、やがてルールブックの標題にも書かれるようになっていたのである。