■「大記者時代」最後の世代
荒井さんにとっては、初めてのワールドカップ取材だった。1937年横浜市に生まれ、早稲田大学を卒業して1965年に毎日新聞に入社すると、社会部などで活躍していたが、1970年に運動部に移って念願のサッカー記者となった。
当時の新聞社のシステムは現在とは大きく違う。現在は、運動部も数多くある社内の部署のひとつで、配置転換は当たり前。記者たちはさまざまな分野を経験していく。だが荒井さんのころまでは、専門とする一競技を任されて、その報道だけで記者生活を全うするというタイプの人びとが各社にいた。一競技を数十年間も担当すれば、その競技に精通するだけでなく人脈もでき、読者が求める読み応えのある記事を書くことができるからだ。「大記者時代」と呼んだ。
荒井さんは、そうした「大記者時代」の最後の世代だった。朝日新聞には大阪に大谷四郎さん、東京には中条一雄さん、読売新聞には牛木素吉郎さん、毎日新聞には岩谷俊夫さん、大阪のサンケイスポーツには賀川浩さんがいた。元日本代表選手で、指導者としても第一級だった毎日の岩谷さんが1970年に44歳の若さで急逝した後、神奈川県の関東学院高校から早大でサッカー部だった荒井さんに白羽の矢が立ったのだ。