現在の日本サッカーがあるのは、多くの先達のおかげだ。その尽力者は選手、監督といった直接かかわる人々だけではない。深い愛情を持ってサッカーを世に届け続けてきた大記者を、サッカージャーナリスト大住良之が偲ぶ。
■未来を見通した頑固オヤジ
毎日新聞で「サッカー記者ひと筋」を貫いた荒井義行さんが12月11日に逝去された。1937年生まれ、享年は86歳だった。
荒井さんは新聞社の定年をとっくに過ぎた2000年代のはじめまで現役の「記者」として取材に飛び回り、健筆を奮っていたが、2011年に引退したため、最近のサッカーファンにはあまりなじみのない名前かもしれない。しかししっかりと筋の通った「サッカー観」に基づく報道、批評は、ときに物議を醸し出すこともあったが、この「頑固オヤジ」のような記者が確実に「サッカーの未来」を見通していたことを、現在のファンにもぜひ知っておいてほしいと思う。
それは1974年、西ドイツの9都市を舞台に開催された第10回のFIFAワールドカップのときだった。メキシコで開催された1970年大会でブラジルが3回目の優勝を飾り、1930年の第1回大会から使用されてきた優勝トロフィー「ジュール・リメ・カップ」の「永久保持」の権利を与えられて新たに「FIFAワールドカップ」が使われるようになった最初の大会である。
サッカーの面でも、それまでの世界のサッカーに例がなかった異質のチーム、オランダが躍動し、衝撃を与えた大会だった。優勝したのはホスト国の西ドイツであり、そのキャプテンで「実質上の監督」とまで言われたフランツ・ベッケンバウアーが称賛されたのだが、世界の専門家たちはオランダに魅せられ、その後何十年間もその後を追うのである。