「大記者時代」を締めくくったサッカー専門記者【サッカー記者・荒井義行さんを悼む】(1)の画像
1994年のワールドカップ・アメリカ大会、ボストン会場で。右が荒井義行さん。左は賀川浩さん、中央は中条一雄さん。荒井さんはこの3人のなかではいちばんの長身だったが、小さく見えるのは、記者席の下段に立っているためだ。(c)Y.Osumi

 現在の日本サッカーがあるのは、多くの先達のおかげだ。その尽力者は選手、監督といった直接かかわる人々だけではない。深い愛情を持ってサッカーを世に届け続けてきた大記者を、サッカージャーナリスト大住良之が偲ぶ。

■未来を見通した頑固オヤジ

 毎日新聞で「サッカー記者ひと筋」を貫いた荒井義行さんが12月11日に逝去された。1937年生まれ、享年は86歳だった。

 荒井さんは新聞社の定年をとっくに過ぎた2000年代のはじめまで現役の「記者」として取材に飛び回り、健筆を奮っていたが、2011年に引退したため、最近のサッカーファンにはあまりなじみのない名前かもしれない。しかししっかりと筋の通った「サッカー観」に基づく報道、批評は、ときに物議を醸し出すこともあったが、この「頑固オヤジ」のような記者が確実に「サッカーの未来」を見通していたことを、現在のファンにもぜひ知っておいてほしいと思う。

 それは1974年、西ドイツの9都市を舞台に開催された第10回のFIFAワールドカップのときだった。メキシコで開催された1970年大会でブラジルが3回目の優勝を飾り、1930年の第1回大会から使用されてきた優勝トロフィー「ジュール・リメ・カップ」の「永久保持」の権利を与えられて新たに「FIFAワールドカップ」が使われるようになった最初の大会である。

 サッカーの面でも、それまでの世界のサッカーに例がなかった異質のチーム、オランダが躍動し、衝撃を与えた大会だった。優勝したのはホスト国の西ドイツであり、そのキャプテンで「実質上の監督」とまで言われたフランツ・ベッケンバウアーが称賛されたのだが、世界の専門家たちはオランダに魅せられ、その後何十年間もその後を追うのである。

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