ワールドカップ・カタール大会で次々と強豪国を破り、日本中を熱狂させたサッカー日本代表。実は、中心メンバーとして活躍した三笘薫、田中碧、板倉滉、権田修一はともに、神奈川県川崎市に根差す町クラブ『さぎぬまSC』の出身だという。
三笘の7万部ベストセラー著書『VVISION 夢を叶える逆算思考』にも、"世界のMITOMA"と評価されるようになった原点である『さぎぬまSC』時代の秘話や同クラブで培った「メソッド」など、数多くのヒントが記されている。
そんな日本代表輩出の秘密を探るべく、さぎぬまSC代表・澤田秀治氏にインタビューを敢行。4人の幼少期のエピソードとともに、その知られざる裏側に迫る!
珠玉の全4回インタビュー。
■田中碧少年の涙の理由
――日本代表4選手のさぎぬまSC時代のエピソードについて伺いたいと思います。三笘選手は、前述の著書の中で「サッカーにおける協調性の大切さも学んだ」とも語っていますが、何か印象に残っていることはありますか?
三笘選手が小学2年生の時、チームが川崎市の春季大会の準決勝まで勝ち上がったんです。その時、チームメイトにFWでドリブルが上手い子がいたんですが、三笘選手はその子の後ろで間合いをはかってついて行くんですよね。何かと思えば、そのFWの子が相手にボールを奪われたら、すかさず取り返してゴールを狙うんです。そして、相手からボールを奪い返せないようなら、すかさず自陣に戻って守備につくといった動きをしていました。
だいたい小学2年生といえば、猪突猛進でボールを持っている場所へ集まったり、ボールを持ったら相手陣地へ一直線なのに、間合いを図ったうえで攻守の切り替えも考えているなんて驚きました。「今までの子とは違うな」って思いましたね。技術面が上手な子はたくさん見てきましたが、彼はそのうえ試合勘もある子でした。
―― 一方、そんな三笘選手のパスを受け、先のワールドカップ・スペイン代表戦で決勝ゴールを挙げた田中碧選手はいかがですか?
入部の体験会に来た田中選手が、練習で泣いていたことがありました。落ち着く場所に移動して理由を聞いてみると、彼は「こんな練習つまらない」って言ったんです。たいていは、自分の思い通りにプレーができなかった時や母親と離れるのが不安で泣く子どもが多いので、僕はあっけにとられましたね(笑)。
「これからシュート練習があるから、もう少し一緒にやろうよ」と慰めてグラウンドに戻すと、彼は練習でドーンと強烈なシュートを打ったんですよ。それで、この子はすごいなって感心したのを覚えています。よくよく話を聞くと、彼はヴェルディのスクールに通っていたみたいで、その後、たまたま家の近所にあったさぎぬまSCに入ったという経緯が分かりました。