■夢は続く

 1991/92年版の「日本サッカーリーグイヤーブック」(発行日本サッカーリーグ)では、「母国アルゼンチンでは左のフォワードとして活躍し、1部リーグで5シーズンに130試合に出場。運動量が豊富で、中盤まで下がってきて相手にきついタックルを浴びせ、その甘いマスクとは対照的に、当たりの激しいプレーを見せる」と、木ノ原久美記者(ジャパンタイムズ)が紹介している。

 来日してからいちど話したが、マカリスターは非常に明るい青年だった。チームにもすぐにとけ込み、活躍してチームの役に立ちたいという意欲が感じられた。

 エスクデロは160センチという小柄ながらスピードに乗った突破を見せて日本リーグの最終シーズンとともに、1992年に開催されたJリーグの最初の公式戦であるナビスコカップ、そして天皇杯で活躍し、サポーターの記憶にも残った。しかしマカリスターは日本サッカーリーグ1991/92シーズン開幕の読売クラブ戦でヘディングで1点を決めたものの、負傷もあり、シーズン全22試合の半分の11試合にしか出場できず、得点も1点にとどまった。そして三菱が「浦和レッズ」となるのを待たず、1シーズンでアルゼンチンに戻った。

 そのカルロス「パト」マカリスターが、カタールで一躍注目されたアレクシス・マカリスターの「伯父」だったのだ。「マカリスター・ファミリー」は、父カルロス・ハビエルとその兄カルロス・パトリシオ、そしてカルロス・ハビエルの長男フランシス、次男ケビンという現役選手も含め、そろってカタールでアレクシスを応援した。そしていま、ファミリーは、彼らの希望を背負うアレクシスが選手としてどこまで昇り詰められるか、期待をもって見守っている。

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