■「パトと呼んでくれ」

 三菱重工から「プロ化」を考えて1990年に三菱自動車に移管された「三菱サッカー部」は、1950年の創立以来、日本人選手だけでプレーしてきたチームだった。日本サッカーリーグでは、その3シーズン目の1967年に早くもヤンマーディーゼルがブラジルからネルソン吉村(後に国籍を日本に変えて吉村大志郎)を獲得、以後ブラジルを中心にたくさんの外国人選手がプレーするようになっていた。1986年にプロ選手の登録が解禁されてからは、日産がブラジル代表主将だったオスカーを獲得するなど、その動きも年々派手になっていた。そうしたなか、純粋に「日本人だけ、社員だけ」で構成されるチームが苦しむのが当然だった。

 しかしプロ化を前に、三菱もチームの強化を図らなければならなかった。ただ外国人選手をどう獲得するのか、ノウハウも、「つて」もなかった。北山さんからのエスクデロの話は、まさに「渡りの船」だったのである。エスクデロとの契約はスムーズにまとまった。そしてもうひとり、エスクデロとともにアルゼンチンから三菱への移籍がまとまったのが、「カルロス・マカリスター」という選手だったのだ。

 1986年3月20日生まれ、171センチ、66キロの左ウインガー。そう、2兄弟の弟「カルロス・ハビエル」ではなく、兄の「カルロス・パトリシオ」だった。チームメートには「パトと呼んでくれ」と言ったカルロス・パトリシオだったが、登録名は「カルロス・マカリスター」とされた。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4