■意味があった部長との対立
そして私は、そこでスクールを運営する企業の「部長」と呼ばれる人とことあるごとに対立するようになる。バカヤロウ呼ばわりされたり、くってかかったことも再三だった。それでも投げ出さずに続けたのは、少年たちといっしょにサッカーをするうちに、サッカーが好きだという気持ちがどんどん強くなっていったためだった。このままサッカーにかかわる生活を続けていきたい、サッカーを仕事にしたいという気持ちは、あの「部長」のおかげで、大学3年生のときには固まっていた。それほど、「東京サッカースクール」は私の人生に大きな意味をもつものだった。
その思いを胸に、1973年1月、私は簡単な履歴書を手に『サッカー・マガジン』の編集部を訪ねた。そして幸運にも編集部の一員として働くことができるようになり、以後、サッカーを取材し、記事を書き、サッカーの本を編集するという現在の仕事を続けることになる。