■アルバイト一色の3年間

 Kくんは親切だった。紹介した責任を感じたのか、試験のある日に、試験会場までつきあってくれた。試験会場は千駄ケ谷駅から歩いて数分のところだったが、時間があったので、私たちはわざわざ原宿駅で降りてそこから歩くことにした。地図で見れば20分ほどで歩ける距離だったし、道もそう難しいようには思えなかった。しかしどこでどう間違ったのか、30分を過ぎても着かない。遅刻したら受験もさせてくれないだろう。大汗をかき、受け付け締め切り時間ぎりぎりに会場についた。

 試験会場に行って驚いた。なんと数十人の学生がきていたのだ。その大半は明らかに体育会系の学生で、学ランの胸がパチパチの、見るからに筋肉系学生もいる。「何人採用するのか」と聞くと、「数人」という。軟弱な法学部の学生では、とても太刀打ちできそうもない。

 しかしまあ、せっかくきたのだからと、筆記試験(子どもを教えるときに何を大事にするかというような問題だったと思う)をこなし、集団での面接を受けて帰った。とても無理だろうと思っていたのだが、「合格」の通知がきて驚いた。

 このサッカースクールは、進学教室を運営するある企業が東京オリンピックを契機にスポーツブームがくるだろうと始めたものだった。東京都内に6つの常設会場をもち、思惑どおり、最盛期には2000人を超す生徒がいたらしい。私はそのうち最も小さな会場のコーチのひとりになったが、「会場責任者」と呼ばれていた先輩のコーチがすぐにやめてしまったので、始めてから1カ月ほどでその役も背負わされてしまった。そして大学生活の残りの3年間は、このサッカースクールのアルバイトが生活の中心になってしまったのである。

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