■運命を変えた友人の一言

 もしかしたら、大学1年生のときに詰め込み過ぎたのかもしれない。1年間が終わったとき、私を襲ってきたのは、大きな挫折感だった。知識は膨大に増したが、それが実生活とどう結びついているのか、まったく実感を得ることができなかったのだ。私は親から現金書留で送られてくる毎月の仕送りで生活する学生だった。知り合いの中学生の家庭教師はしていたが、社会に出て働いていたわけではない。実情は、ほんの子どもだった。理屈はこねても、人の人生を左右する法律的な判断をすることなど不可能だった。

 そんな思いなど知るはずもないのだが、そうした「心のスキ間」にタイミングを合わせるように言葉をかけてきた友人がいた。中学高校の同窓生で、私と同じ大学の違う学部に通っていたKくんである。

 「オースミ、おまえにぴったりにアルバイトがあるぞ」

 ある朝、彼がこう声をかけてきた。大学校内の掲示板のところまで私を引っぱっていくと、彼は1枚の「アルバイト募集」のビラを見せた。「東京サッカースクール」という少年スクールが、コーチのアルバイトを募集しているというのだ。

 「子どものコーチか、ちょっと苦手だな」

 大学1年の夏に、友人に誘われ、いちどだけ鎌倉で開かれた「日立サッカースクール」のアルバイトコーチをしたことがあった。日本サッカーリーグの日立があちこちを回りながらサッカー普及の活動をしていた組織で、主任コーチは、胡(えびす)崇人さんという、日立のトップチームのコーチ(後に監督)だった。私は1日だけアルバイトとして手伝ったのだが、少年たちが生意気で辟易し、「自分には向いていない」と思っていたのだ。

 だが当時の私の心には、「法律家になるのは難しいな」という、大きな穴がぽっかりと開いていた。「サッカーのアルバイトでもやってみるか」と、思い直した。

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