■クライフだけが持っていたもの

 1974年のオランダ代表は、強烈なプレッシングとともに流れるようなポジションチェンジをともなった攻撃の両方をもち、そのすべてをヨハン・クライフの天才がコントロールしていた。厳しいトレーニングから生み出されたオランダのフィジカル能力と、どんなポジションのプレーでもできる個々の選手の能力を「トータルフットボール」として昇華させたのは、クライフだけがもつ「タイミング」の感覚だった。

 世界にセンセーションをもたらした1974年のワールドカップ西ドイツ大会から4年後、オランダは1978年アルゼンチン大会でふたたびワールドカップで決勝戦に進出した。しかし、世界のそのサッカーに対する反応は、4年前とは対照的だった。

 「7週間も家族を放りっぱなしにしなければならないワールドカップなんて、いちどでたくさん」

 前年、1977年の秋、熾烈を極めたワールドカップ予選でオランダに出場権をもたらした後、クライフはこう言ってワールドカップ出場辞退を明らかにし、同時に、オランダ代表からの引退を発表した。

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