■現在までも続く伝説
実は、両手のない青年を、ドン・リカルドは10年も前から知っていた。ビクトル・デラキラという名の彼は、12歳のときに感電事故で瀕死の重傷を負い、両腕を切り落とすことで命を救われた。それでもサッカーへの情熱は冷めず、両腕がそっくりない体でプレーを続け、ボカ・ジュニアーズの大ファンとして知られていた。
決勝戦終了直後、アルゼンチンのゴール裏にいたドン・リカルドはピッチにはいり、ピッチにひざまずいたフィジョールの写真を撮ろうとした。そこにタランティニがはいってきて、彼に抱きついた。いいシーンだと思った。しかしさらにそこに「第三者」がはいってきたのだ。その姿から、すぐにビクトルだとわかった。ドン・リカルドはシャッターを押してはフィルムを巻き、またシャッターを押した。熟練のその速さでも、1秒間に8コマという「モータードライブ」には到底かなわない。しかしその代わり、彼は「ここ」という瞬間に間違いなくシャッターを切ることができた。
こうして「ドン・リカルド」は伝説になった。そしてそれから21年後、こんどは息子のリカルドがリオのマラカナン・スタジアムでスポーツ写真の新しい伝説をつくった。「アルフィエリ父子」が世界のサッカー史でも屈指の「親子カメラマン」であることに、異論は少ないだろう。そして「アルフィエリ伝説」はまだ続く。「孫」のマウロは、いま、アルゼンチンを代表するスポーツカメラマンとして、世界を舞台に活躍している。