サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、ゴール裏で座っている人たちの話。彼らが切り取る「芸術品」は、国境も時代をも超えていく。
■怒りが込み上げる不条理
このワールドカップに日本から来ていたカメラマンは10数人だったのではないかと思う。しかしFIFAが日本の取材陣に許した「ピッチでの撮影枠」はわずか2だった。残りの10人以上は、観客席上部に設けられた撮影用デッキから、超望遠レンズを使って撮影しなければならない。決勝戦の前日にカメラマンたちは集まって話し合いをした。私が所属していた『サッカー・マガジン』は3人のカメラマンを登録していたので、「1枠は確保したい」と考えていたのだが、いろいろ考えてカメラマンたちに任せることにした。
その結果、「2枠」を「1枠+0.5枠×2」に分割し、抽選することにした。1試合撮影できる枠を引き当てたのは、普段サッカーの取材などで見かけたことのなかった雑誌社と契約したカメラマンだった。『サッカー・マガジン』はかろうじて「0.5枠」を引き当て、試合の前半だけピッチで撮影する権利を得た。その45分間で、これから出す数冊の雑誌の表紙を含む決定的な写真が撮れるだろうか―。私は不安でいっぱいだった。
その不安のなかで向かったリバープレート・スタジアムの記者室。「すでに引退したカメラマンが、広報担当事務局とのコネで決勝戦のビブスを入手したに違いない。しかもサッカーの写真など撮れそうもないあんなカメラで…」。世の中によくあることとは言え、その不条理と不公平に、私は大きな怒りを感じた。だから、「あ、あのときの老人だ」と思っても、声をかける気にならなかった。