「そのフィルムを渡してくれ」
ブラジル・サッカー協会のリカルド・テイシェイラ(カメラマンのパウロとは何の関係もない)がアルゼンチン人カメラマンのリカルドに求めた。だが彼はプロフェッショナルだった。
「クライアントの了承を得なければならない」
■運命を動かした日本のサッカー雑誌の決断
実はこのころ、リカルドは『エル・グラフィコ』を離れ、南米サッカー連盟(CONMEBOL)のオフィシャル・カメラマンでもあったが、同時に日本の『サッカー・マガジン』(ベースボール・マガジン社)とも契約していた。そしてこの試合の写真の第一選択権は『サッカー・マガジン』にあった。
その場でリカルドは東京に電話し、当時編集長だった千野圭一と話した。千野は「CONMEBOLとFIFAへの証拠物としてだけ出すことを認める。ただし、商業出版物としては『サッカー・マガジン』より先に出版することはできないし、テレビなどで公開することも認められない」と回答した。
リカルドは、CONMEBOLとブラジル協会に伴われてリオ市内の大手出版社に向かい、現像に立ち合った。彼が提供した35ミリフィルムには、「ベンガラ」がロハスから1メートル以上離れた地点に落下した瞬間を鮮やかにとらえていた。1週間後、FIFAはチューリヒで緊急委員会を開き、チリの引き上げを「試合放棄」とし、ブラジルに2-0の勝利を与えた。そしてチリ協会は次の1994年ワールドカップに出場停止、ロハスだけでなく、チリ協会会長、アラベナ監督、ドクター、トレーナー、チリの副主将(ロハスが主将だった)、用具係、役員まで、多くの人がサッカー界から追放となった。